篠木神楽
岩手県の神楽は、山伏(やまぶし)神楽・社風(みやぶり)神楽・科白(せりふ)神楽・多賀(たが)神楽に四大別されるという。その内、修験者集団の組織した山伏神楽は最も古く芸も古雅である。山伏神楽の要素を吸収しながらも、唯一神道の芸能として南部藩の社風神楽(南部氏36 代利敬の造語)で、盛岡市本宮の大宮神楽や滝沢市の篠木神楽がそれであるといわれています。
岩手山大権現社の宮司には岩手郡三十三郷の工藤氏の一族が担当していたが、文祿元年(1592)以降、この地の支配は南部藩に変わりました。
山岳神に対する信仰は古くから強烈濃厚であり、女人禁制で、「御山かけ」の出来る青年を一人前とみなし、春祭りの陰暦5月25日から同27日まで山麓の新山で祭りが行われ、28日御山開きで、山伏の先達により登山参詣し、這松の梢を折って帰り、家内の無病息災と安全、五穀の豊穣の祈祷札を田畑に立てて祈願しました。
すなわち山岳神は村の農業と万民の多幸を守って下さる神であり、その神は山の奥の岩手山の山頂に鎮りますものと信じていました。
かくのごとく民衆の信仰をあつめている岩手山の登山口は三カ所あり、それぞれの登山口に別当がおり、それぞれの神楽が伝えられてきました。
これが雫石口の雫石神楽、平館口の平館神楽、盛岡口の篠木神楽です。
滝沢市篠木の斎藤家は岩鷲山厨川口新山の禰宜として知られており、南部藩から公認された社人です。斎藤家は坂上田村麻呂の家来斎藤五郎兼光の子孫といわれ、鎌倉初期以来、岩手郡三十三郷大領厨川城主工藤氏の被官と伝えられる古い家柄です。
岩鷲山大権現社の厨川口新山は、工藤氏が衰退して南部氏になると別当権をめぐる争いがおきるが、篠木の斎藤家は別当権の正当性を主張するとともに京都ト部家から神道の裁許を受けたり、南部藩から岩鷲山大権現社禰宜の資格の承認を得たりしていました。
いずれ篠木の斎藤家は江戸時代を通じ、代々神官としてことある毎に神楽を伝奏してきたが、やがて「秘伝」・「秘流」として後世に伝える伝授書をまとめたと思われる記録がのこされています。
この伝授書に記された斎藤淡路守藤原正吉が万治3年(1660年)8月、神道管領長ト部兼連から裁許状を下附された人物と同一人であるとすると篠木神楽は江戸初期の頃には活動の基盤がほぼ作られていたといえます。
斎藤家代々の秘流とされる神楽は、天の岩戸開き、鳥舞、八幡舞、山神舞など諏訪までの十二番、それに追加された分と合わせて三十番は下らないと思われます。
- 登録日:2011-05-10
- 文化財の指定:岩手県指定文化財
- 文化財の種類:無形民俗文化財
- 交通・見学:旧暦6月16日田村神社で奉納、そのほかチャグチャグ馬コふれあいまつり、市郷土芸能まつりで見学できます。
- 住所:滝沢市内
- Tel:019-684-2111(文化振興課)