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大釜館遺跡7号溝跡出土土器19点

 大釜館遺跡は雫石川河岸段丘に立地し、大釜字外館他に所在します。
 村の区画整理事業に伴ない記録保存のための発掘調査が、平成?年から平成7年の5ケ年にわたって本格的に実施されました。平成5年の調査で検出され、7号と名付けられた溝跡は、北西から南東方
面に走る長さ約40 m、上幅約1.2 m、下幅約0.8 m、深さ0.4 mの規模を確認でき、溝の南東で9世紀前半の墓を囲む4号円形周溝の南側に重っており、7号溝の方が新しい遺構です。
 7号溝跡出土の土器19点は、溝の南東部分10mの間に列点状に並んで、溝の底に近い埋土中から出土したもので、意図的に置かれたか、もしくは一括廃棄されたものと思われます。
 これらの土器は、考古学では土はじき師器と呼ばれ、酸化焔焼成と言われる焼き方で、空気中の酸素を十分送り込んで燃料を燃やす焔をあげて焼きあげる最も初期からの方法で焼かれたものです。また、全ての土器は、ロクロを用いて形成し回転糸切り痕が底に認められます。
 19点中の1点は、土器の内外を黒色処理とヘラミガキ調整をし、低い高台が付けられた?です。口径15㎝、底径7.7㎝、器高6. 5㎝の大きさです。
 17点は、橙系の色あいをした素焼きのままの?です。器の内面は、なめらかに調整した仕上がりになっており、台状に形成した底部を持ち、底部からなだらかに傾斜しながら立ち上がるものと、胴部の下半でやや屈曲して立ち上がるものの二つのタイプがあり、数的には前者が多く、大きさの平均値は、口径15.4 ㎝、底径6.4 ㎝、器高5.7㎝、器の厚さ0.6 ㎝と比較的厚い土器です。
 1点は小皿で、?と同じような仕上げをしており、口径9.4 ㎝、底径4.6 ㎝、器高2.6 ㎝の大きさです。以上が7号溝跡出土の土器群の概要です。
 19点の土器群と同類の土器が出土している岩手県内の遺跡は岩手町沼崎遺跡、花巻市蛇じゃのめり蜒遺跡、宿遺跡、金ヶ崎町西根遺跡、鳥海A遺跡、奥州市白鳥遺跡、一関市河崎の柵擬定地などがあります。また、滝沢村八幡館山遺跡からも同類の土器片を採取していますが、今のところ県内でも出土例が比較的少ないです。
 県内におけるこれら遺跡の中で、金ヶ崎町西根遺跡と鳥海A遺跡は、古代末期の11世紀中半にあった前九年合戦(1051~1062 )の経緯を記述した『陸奥話記』によれば、当時、北上川中流域の奥六郡に勢力をもっていた安倍氏一族の長、頼時の子息の宗任が構えていた安倍氏の主柵の一つ、鳥とのみの海柵さくであったことが確認されています。
 つまり、大釜館遺跡7号溝跡出土の黒色処理高台付?1点、素焼き?17点、小皿1点、合わせて19点の土師器は、古代末期の11世紀後半の土器で、安倍氏の権勢と前九年合戦と言う歴史的背景の中で、今後の歴史解明に資する貴重な資料に位置づけられます。

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