滝沢村の細谷地に「新温泉」という名称のバス停があります。
もちろん今は温泉の名残もなく、周辺に温泉をひいている家もありません。
その謎は滝沢村誌の中にありました。
それは大正初期に遡ります。
網張の元湯から五里半(約22km)の管を引いてこの地に温泉を持ってきて温泉街を形成していたそうです。
その頃は旅館が7戸、雑貨商其他43ほど軒をつらね、また、盛岡よりわずか一里半(約6km)、自動車・馬車・人力車等の便も備わり、電話・電灯も設備されている等盛況であったことを伺い知ることができる手記も残されています。
しかし、そのすぐに木管が破裂してしまい復旧もできず、そのまま夢の跡と化してしまったとか・・・。
わずかな期間の温泉でしたが、今なおバス停の名前として残っています。
このまま温泉が残っていれば「温泉のまち滝沢村」となっていたかもしれません。
ちなみにこの温泉にはかの宮沢賢治も大正二年の盛岡高等農林時代、
沼森の地質調査を行った際に宿泊していると残されています。
(Shi)